なぜ人類誕生とエイリアンを無理やり関連付けたのか?
エイリアン生みの親のリドリー・スコット
監督が、シリーズの原点に迫る作品を撮ったとして相当に期待していたのだが、どうにも途中からつまらない展開になってしまった。
ストーリー展開が飛躍しすぎて、ついていくのに色々と考えてしまい、映画に集中できなかったのだ。
そもそも、エイリアンと人類の起源を関連付けるという肝心な点が非常に分かりにくかった。というより、分からなかった。
この肝心なところがストレートに理解できなかったので、映画という表現形態にそぐわないと感じた。SF小説ならまだしも、次々と場面が進んでいく映画では、鑑賞するテンポが削がれてしまい、楽しめなかったのだ。
もちろん、映像は素晴らしく、おそらくフルCGのマッチョな古代人?のリアルさと、元祖エイリアンとの戦いは、くねくね具合といい、遊星からの物体Xとはちょっと品が違うと感じた。
今回は2Dで見たが、3Dでみるとさらにすごいだろうと想像できる。
それとは逆に、最初の犠牲者となる無邪気すぎる二人の地質学者?の行動がステレオタイプすぎてあまりにも危機感に欠けている。このあたりが作品としてバランスが悪く、完成度を落としているように感じた。
また、元祖人類の宇宙船の有機的形状が、あまりにも有機的で非人類的でしっくり来なかった。
作品中ではエイリアンは軍事兵器的なことも語られていたが、作った側がもろにやられてしまいどうにもお粗末すぎる。これではまるで遊星からの物体X並だ。もっとも、遊星からの物体Xの解釈は私個人のものだが。
今回のプロメテウスは人類の起源とエイリアンを無理やり関連付けたところに失敗があるのではないかと思う。
最後は元祖人類?の宇宙船で、エイリアンを作った者たちを探す旅にでるわけで、いかにも次作を匂わせる終わり方もリドリー・スコット監督らしくなく、最初の作品「エイリアン」との整合性もうまくつながっていない。
アンドロイドが最初から乗組員にエイリアンを感染?させようとしているように描かれているところも説明不足でよく理解できなかった。
人類の起源か、エイリアンの起源に的を絞ったほうが良かったと感じた。
札幌シネマフロンティアシアター1
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